「日本美術院を感じているか?」 村上 裕二
公益財団法人日本美術院。公益です。責任が求められるね。
美術芸術は個人が大切。だからみんなで寄り添っての学びは難しい。
世界には大学という環境がある。ただ国により成り立ちに違いがある。主要な西洋の大学は、はじめから国益に重点を置きスタートしている。自国の力を見せつけ、差を出し、富むための役割を担っている。それに比べ日本の大学の成り立ちは、西洋の知識を集め、広め、西洋に遅れを取らない人材育成が中心だった。そんな気分は現在にも残っていて「大学は学生が中心」との声が各方面から聞こえてくる。勿論その是非のことではない。ただ、成り立ちは、後々の成長にも連動する。日本美術院の成り立ちの志には、大学を追い出された岡倉天心の理念が強く反映している。
日本美術院は日本の歴史文化を踏まえた上での美を求め、見識を持ち、未来へと導くことを念頭に組織された。当時の日本の大学は、西洋の知識吸収が主題であり、天心の理想とは相違していた。しかしこの点こそが日本美術院の肝となっている。明治時代は日本の自覚キーワードを探していたし、西洋のアジアに対する不理解は、文化や文明すらも破壊する情勢だった。だから尚更に日本美術院では日本を観察し、日本人の心に寄り添い、国の自信と自立につながる美術を目指した。日本へのこだわりが、変わり者達の集団と多少誤解につながった面もあったけれど、現在にまで続く道を歩めている。その道を在野とみられても構わずに参加した先輩方は、岡倉天心が込めた理念を作品の中で昇華させ、日本美術院的日本画を沢山残してくれている。
はじまりから約110年。今でもその志は日本美術院を照らしてくれているだろうか?・・・それは、それぞれが感じるところでしょうね。♥