初入選の思い出 大矢 紀
私が院展初出品したのは、今から約50数年前の昭和30年のことでした。昭和27年銀座松坂屋での院展三羽烏と云われた安田靫彦先生、小林古径先生、前田青邨先生のすばらしい巨匠三人展があり、それを拝見した時の驚きは私の人生の進路の道すじを変える事になったのです。それまでは考古学に興味がありそれ様の進学を考えておりましたが、三人展特に前田青邨先生の羅馬使節、洞窟の頼朝などの作品に圧倒され私もこの先生の下で勉強したいと云う思いが特に強く、それには当時芸大教授であられた先生の下でと急遽方向転換したのです。
しかし、世の中、そんなに甘くなく最後の面接まで行ったのですが残念ながら不合格でした。それと芸大4年間は展覧会に出品できずと云われており(本当かどうかはわかりませんが)、それではどんなものか試しに出してみようと思い、初出品(石神井川)したのでした。芸大は三浪、四浪はあたりまえの時代でもありましたが、我が家では経済的に浪人を許す環境ではありませんでした。なお、昭和30年の院展は、院展の巨人と云うよりも日本美術界の巨人と云った方が良いかも知れません横山大観先生が院展出品最後の年でした(先生は昭和33年に亡くなられました)。
そして初出品の私の作品「石神井川」が初入選しなんと第5室に飾られたのです。当時の美術館は1室、2室、4室、5室が同人、受賞者の人々が主に並べられ、特に3室は、大家、長老の先生方の作品で美術愛好家の人達は3室の作品を楽しみに来られたものです。その3室に大観先生の「風蕭々兮易水寒」が出品されており第40回院展に、大観先生と最初で最後でもあるその年の院展の目録に御一緒に名前が載り、私の何よりの宝であり初入選の忘れぬ思い出です。