初入選の思い出  中村 譲

同人コラム
中村 譲

公開日:2022.01.05

中村譲 再興第79回院展 《犬吠の春》.jpg

 私の初入選は平成6年再興第79回「犬吠の春」という作品で、30歳になる年でした。春と秋を合わせて連続9回落選の後やっと10回目のことで、そこまでの道のりは長く厳しいものでした。

 最初の出品は大学院修士課程1年生在籍の春の院展からで、当時テーマとしていた動物シリーズの象と熱帯植物を組み合わせた作品です。今後院展での活動を考えているので、取りあえず出品してみようという軽い気持ちで出しました。結果は落選。その時一緒に初出品した同級生のS君は見事初入選。彼の絵はいつも上手いなあと思って見ていましたが、学生でない一般の世界はやはり上手くないとダメなのだと感じました。それでも特に気を落とすことも無かったように記憶しています。

 それから2年生になり、後に大学院博士課程にも進学します。先の動物シリーズやルソーに憧れて熱帯植物を描いていました。本来不器用な上に、目指すところはちょっと変わった絵でありたいと考えたり、院展の絵は上手だけどおもしろさではどうかという少し疑問に思うこと(妬み?)もあったりで、落選5〜6回目の頃までは一生懸命描いていたつもりですが、まだまだ本気で入りたいと思ってなかったかも知れません。しかし周りでは大学を卒業した同級生や学内の後輩もだんだん入選を果たし、一人置いてき(先生「け」)ぼりになっていると感じていました。

 その頃からは、何とか結果を出したいという気持ちが強くなります。どうすれば入るかが目的で描いていて、慣れない人物を描いてみたりもしました。今思えば、絵の内容について冷静に考えられず唯々焦っていただけのようにも感じます。結局学生時代に1回も入選することはありませんでした。

 この頃には自分に院展は向いていない、大学を出たら違う活動も試そうと考えていました。そんな時、福井爽人先生から大学の非常勤の助手になる話をいただいたのです。結果も出ていないし、劣等感も感じていましたから大変感謝しつつも驚きでもありました。大学の研究室勤務になり、考えれば助手の落選は滅多に聞きません。自分は大丈夫なのか、入選したこともないのに落ちるわけにいかないと思っていました。プレッシャーが強くなり過ぎた時、しかし落ちてばかりの助手がいても良いじゃないかと開き直ることにしました。結局、風景画を出品し入選を果たすのですが、制作中は自分なりに本気を越えて苦行でした。いじっても変わらない作業を神経をピリピリさせて描いていたと思います。今あの時ほど必死に画面に向かって根を詰めることができるだろうかと思います。

 入選の知らせを聞いたときは嬉しいというより「あ〜助かった〜。」という感じでした。安堵して力が抜けるのを感じました。私の「初入選」は9連敗からの脱出です。何にしても制作を続けてきた中で、最も印象に残ることのひとつで、糧となっていることは確かです。