院展出品で印象に残ること 小山 硬
東京芸大卒業後、漁夫の生活を題材として、魚や魚網を制作し院展に出品しておりました。取材の為天草崎津漁港で釣り糸の十字架を首にした漁夫に出合い「あなたは、教会へ行くのですか」とたずねた。これをきっかけに私の切支丹取材がはじまり、長崎、平戸、生月と禁教令のあとのカクレキリシタンの姿を出品画として発表して参りました。田舎道で出合った老婆に「教会に行きますか?」とたずねると、「私は浄土真宗だけん、行かんです」と答え、夜、神父の許可を得て礼拝堂に入ってみるとミサにその老婆が参加しておりました。信者で役付きのある人の場合、大広間に紫の布で飾られた祭壇には金漆の板に天照大神の大きな文字があり、一見神教を思わせる部屋で、次の間は仏壇が安置され南無阿弥陀佛の文字、掛軸にはチョンマゲ姿の母親と子供が描かれている。これらは表面的には仏教を思わせますが実はキリスト教のマリアとキリストです。
この二、三年前から画題を追憶満州として、自分が小学4年5年と終戦後の新京の不安と混乱の中、北満からの難民日本人が学校などに収容され、コレラ、チフス等伝染病で倒れ栄養失調で死んでいきました。厳しい経験と日本人の生活を記録として画面に残す必要を感じ描きはじめました。1作目屏風は、胡虜島からの引揚船に乗り込む日本人の群像を描き、2作目屏風は、新京駅前で物売りの自分を入れた満州人と日本人親子を描きあげました。今年の春の院展写真マークには、ハルピンから来た空腹の難民少年が完成します。3作目屏風は、日本兵の捕虜が無蓋列車でシベリアへ向け運ばれる姿を制作します。3年程前になりますが、幸いにも私は再度満州(新京、ハルピン、大連)を訪れ、捕虜列車を見た現場(興安橋上)を再確認致すことができました。