日本美術院 同人コラム

我が師  希有の画人  塩出英雄先生

が師、故塩出英雄先生写真マークは仏教、茶道、短歌、能楽、東洋美術などに造詣の深い哲学者の様な画家であった。そして塩出先生の師は奥村土牛、又その師は小林古径、又その師は梶田半古と、高名な先生方の教えが脈々と引き継がれている。
 若き頃、度々展覧会や画廊巡りをされる研究熱心な先生にお伴させていただいた折、 又院展の落選の通知を受けた反省に伺った時など、二人とも黙りがちであった。私が思い巡らし、しかし何も言えずにいると、師はポツンと「絵が澄み切っているといいね。」と、一言。その様な経験が多々あった。後に思えばそれを理解するには何年も要する、生涯を通じての宿題の様なものだった。そして又、沈黙が続く。唯、その無言がとても深いのだ。若造であった私はその時、こういう大人になりたいと思った。
喋らずとも教えることのできる人に・・。
 師の七回忌に、同じ武蔵野美術大学の毛利武彦先生が半世紀程前の思い出話をされた。新任の毛利先生が、健脚の塩出先生の後について、二人で無言のまま大学から玉川上水の帰り道を駅まで歩いた。唯、それだけの事である。しかし、それを塩出先生の心の静けさや平明さが伝わってくる、生涯の美しい、深い体験として語られた。心の静かな人の有り様が、それを受けることのできる心の平明な方へと伝わっていく。
静かなるともそれは決して拒絶をせぬ沈黙であり、暖かく、豊かな時間の流れとして。
 事を急がず、虚飾を排し、自然の有り様のままを愛した師は語っている。「俺の絵が分かるのはたった一人、それも百年後でもいい、その人が『いい画家だった』と一言、言うてくれたらそれで本望だ。」「私は風景画を描いていても仏画を描いている気持ちなんだ。」「絵描きはね、絵で成仏すればそれでいいんだよ。」と。
 技法や様式を師から受け継ぐものも一つの師弟関係だが、私は師の深い生き方のほんの一つ端でもいいから受け継ぎたいと願う。しかし、一向に伸びゆく気配のない不肖の弟子である私を、画室の師の遺影は今も黙って、忍耐強く見守り待っていて下さる。