安田先生から御指導頂けるようになって間もなくの頃、私は先生から絵を描くことの厳しさ難しさ、そして画家としての生活のことを懇々とお話頂きました。少年ではありましたが先生の噛んで含めるようなお話からその意味はよく理解出来ました。しかし花一本から小品の画面を研究するようにという問題は実に難しく一体どこから取り組むべきかと大いに迷いました。或る日父と日本橋の美術店、壺中居に出掛けた時に、戦後間もない、まだ仮店舗の床の間に杉山寧先生の明代の鉢の作品がかけてありました。それは赤絵の鉢、一盌のみ、しかし側によってみると陶器の肌、模様など実に精緻に描きこまれていて見た瞬間“これだ”というある直感がありました。早々に我が家に帰り、たいしたものではありませんでしたが我が家にある鉢一盌を一生懸命描き出しました。しかしいざ取り組んでみると単純な鉢の形のデッサン、輪郭線の入れ方、陶器の肌、模様の描き方、バックの余白をどうするべきか等々やればやるほど難しくなりました。膠の入れ方も多過ぎて失敗したりで情けない鉢の絵になってしまいましたが、下手ながらも一応まとめ、次に染付けの皿に茄子をのせた静物などを夏から秋にかけ制作していきました。毎度かなり手こずりましたが次第に硬さのようなものが薄れ、苦しみながらも光明のようなものを感じだしました。このような勉強を三年ほど続けたころでしょうか。研究会が終わってから先生が「鎌倉君ちょっと」と小さな声でおっしゃいました。何事かと側に寄り伺いますと「君も来年の春から展覧会に出品してみては」とこの時も小さな声でおっしゃいます。私はこのお言葉を聞いた時、まさに今の若者が言う「ヤッタアー」という天にも昇るような気持となりました。しかし十代の頃、調子にのって先生にこってりと意見された経験がありますので、嬉しさを噛み殺しながら「もう少し小品を研究した方がいいのでは」と申し上げますと、先生は「いや物事には時期ということがあります。君もこれからは絵で生活していかなければいけませんからもうその方向で進んでいきなさい。」と院展に出品のお許しが出、新たな勉強となっていきました。そしてさて何を描くべきかといろいろと考えた末、モチーフは小品で二、三度描いたことのある我が家の黒い犬に決め、制作の準備にかかりました。何故黒い犬にこだわったかといいますと、それは安田先生御所蔵の宗達作の水墨画の子犬からなのです。この作品は宗達の中でも一、二を争う名画と思いますが、十代の頃先生の床の間に無造作にかかっていたのを拝見した時、よろよろと歩く子犬の姿のとらえ方のうまさにすっかり魅了させられていました。そして小林古径先生も犬がお好きでしたが、当時先生がお飼いになっていたアオメという牝犬が、子犬をたくさん産んだからと古径先生の隣家の私の知人がボストンバッグに入れて持ってきてくれました。バッグから出てきたその子犬は黒い毛並み、大きな顔をふらつかせながらよちよち歩く姿は、まさに水墨画の宗達の子犬そっくりで、あらためて宗達の写実のすごさに驚き感心させられました。そのようなことから春秋の院展には黒い犬を描き出品しました。私は当時直接小林先生にお目にかかったことはなかったのですが、これは余談として小林先生のお弟子さんに当たる小谷津任牛先生が「君の黒い犬が審査に出てきた時、古径先生、にっこりして見て居られたよ」と入選が決まってから教えて下さいました。
そして秋の院展も初入選となり母と大磯までお礼の御挨拶に伺いましたが、奥様が「よかったですね、お父様もさぞお喜びでしょう。」とお祝いして下さり、続けて先生は「美術学校に行かなくても早く入選出来ましたね。」とおっしゃいましたが、そのお言葉に私は万感胸にせまる思いとなりました。