日本美術院 同人コラム

絵の道を歩く原点と院展初出品

生の思い出が沢山浮かんで来る中で、私にとって特に心に残る、忘れられないもの、それは、先生が日光二荒山神社に奉納する作品(300号)を制作して居られた頃の話である。写真マーク当時私は、東京芸術大学日本画研究室に居て、学校の用事で北鎌倉の先生のお宅に伺った。応接間に通され先生を待っていた時、奥様が出てらして「今先生が休んでいるので、一寸待って」と言いながら、「先生最近寝ている時、時々うわ言をいうのよ、どうも絵のことらしいの」などと話された。そこへ顔を出された先生、開口一番「今井君、絵は難しいね」とひと言。私は何と言って良いか、すっかり固まるばかりであった。この時の作品は、完成後日本橋三越本店に於いて一般公開された後、二荒山神社に奉納された。先生が亡くなられた後、前田家から大量のスケッチが東京芸術大学に寄贈され、その作品群は芸大の正木記念館で公開された。その中に二荒山神社に奉納された物と同じ大作が、八割方完成された状態で含まれていた。この作品が気に入らず、再度300号の大作に挑戦したことになる。現在神社に奉納されている作品と比較すると、図柄の上で少し変化があったが、仕上げる迄に三年の月日を費やしたという。名作を次々と発表された先生の、少しの妥協も許さない、その凄まじいまでの姿勢に強く打たれた。先生が旅立たれて三十二年になるが、厳しさということが年々歳々心にずしりと重く、その名作の陰には、一般の者には見えない努力の積み重ねがあった。先生が身を持って示されたこのことを座右の銘として、精進し続けたいと願っている。