特別寄稿
東京芸術大学教授
佐藤道信

特別寄稿
東京芸術大学教授
佐藤道信
2002年11月、ウズベキスタンへ向かう飛行機の眼下には、何時間も、どこまで行っても砂漠が続いていました。平山学長以下の東京芸術大学の訪問団に、私も加えてもらった時のことです。これが、平山先生に同行したただ一度の旅行になりました。
空から見ても途方もないこの砂漠は、地上なら際限のない距離のはずです。砂漠の向こうに天竺があるという情報だけをたよりに出発した玄奘三蔵の旅は、空から見ると自殺行為に思えました。灼熱と冷夜、砂嵐、乾ききった大地。生死や一生をこえた理想と求法の旅。しかし玄奘はおそらくそこで、同じ道を歩いて仏教を伝えた先人たちが確かにいたことを、肌身で身近に感じたことでしょう。同じシルクロードを遥かに旅した平山先生もまた、玄奘や先人の息づかいをひしひしと感じたのではなかったでしょうか。
天心の思想の根幹にあったイメージが、海だったとするなら(前回外伝)、平山先生のそれは、このシルクロードという大地の道でした。海に人の痕跡はのこりませんが、陸には人の栄枯盛衰の跡がのこります。天心は流動しつづける海に、永遠の循環を見ましたが、平山先生は、築かれては再び砂に還っていく人為の跡に、無常と永劫を見たのでしょう。
しかし彼らは、そうした永遠や永劫を前に、現在の無為と無力を感じたわけではありませんでした。逆に、いま自分がなすべきことの使命を、強く自覚していたように見えます。生涯、古社寺保存に深くかかわり続けた天心と、国境をこえた国際文化財赤十字に奔走した平山先生。彼らの活動は、人間の愚かさを受けとめつつ、過去から未来へいま自分がなすべきことの思いを共有しています。一緒の旅行で私が痛感したのも、この点でした。戦下の文化財への保護は、状況次第で努力が徒労になりかねない危険をはらんでいます。“それでも”あるいは“だからこそ”という思いには、はるかに遠く高い理想を見つめていた彼らの視線を強く感じます。